研究室から先輩が逃亡して研究室でぼっちになった体験談【ブラック研究室?】

タイトルにある通り、僕には研究室の先輩が諸事情でいなくなり研究室で一人ぼっちになってしまった経験があるので、今回はその経験について書き記していこうと思います。

 

 

まず、僕は現在大学院生(修士2年, M2)ですが、今回述べる研究室のエピソードは学部時代(学部4年次)に所属していた研究室に関する話であり、現在僕が所属している研究室の話ではない点を述べておきます。

 

僕は大学院進学に伴い、大学を移動しているため、学部時代に所属していた研究室と大学院生として現在所属している研究室は異なります。

 

そのため、僕は二つの研究室を経験していることになりますが、現在所属している研究室と比較すると、学部時代に所属していた研究室は担当の先生が酷かったです。これだけは断言できます。

 

 

以下、学部時代に所属していた研究室のエピソードを述べていきます。

 

 

学部時代の僕が所属していたコースは、学部4年になってから研究室配属が行われます。

 

学部で卒業する場合は1年間、大学院の修士課程まで進む場合は3年間、博士課程まで進む場合は6年間研究室に所属することになります。理系という立場のため院進する人が多く、同じ研究室に3年間所属する人がほとんどだと思います。

 

そして、学部4年になった僕はある研究室を選びました。

 

この研究室は僕が学部4年になる一年前にできた研究室であり、その年で二年目という新しい研究室でした。そして、一年間に最大1人しか迎え入れないという特別な研究室でもありました。

 

そのような特別な環境を物珍しく感じ、僕はその研究室に所属することを決めました。その研究室には先生(講師)と先輩(修士1年)の二人がいて、研究室は僕を含めて3人の体制になりました。

 

人数が少ない分、先生や先輩との距離はかなり近かったと思います。特に、先輩はすごく優しかったです。なお、僕は学部4年の4月の時点でよその大学の院に行こうと考えていましたが、研究室の先生は普通に許可してくれました。

 

学部4年の4月に研究室に配属し、気づいたら5月になりました。5月から研究室全体での研究進捗報告会が始まりました。発表するのは僕と先輩の二人だけですが…。

 

あれは二回目か三回目の進捗報告会の出来事でした。先輩が進捗の報告を行っていたのですが、僕でもわかるほど先輩の発表はいい加減なものであり、先生がかなり怒っている様子でした。あの空気の悪さは今でも覚えています。

 

進捗報告会が終わった後、僕は先輩に「先生怖いですね」と言いましたが、先輩は「そんなことない」と返答しました。この言葉を聞いて、僕は先輩は心が強い人なんだなと思いました。

 

しかし、この時以降、先輩が研究室に現れることはありませんでした。

 

この研究室にはコアタイムが無かったので、最初は気づきませんでしたが、そういえば先輩が最近来ていないなと徐々に思い始めました。

 

そして、次の進捗報告会か何かの場面で先生と話した時、先生から「○○君(先輩)は今、進路に悩んでいて、研究室に来れる状態じゃない」と説明されました。

 

すごく混乱しましたが、時間が経つと僕は「先輩は先生のせいで研究室に来れなくなったんじゃないか」と思い始めました。

 

あまり触れたくはありませんが、研究室の先生が学生の気持ちを理解してくれない先生であることは日が経つにつれて明らかになりました。

 

この先生は、一日で終わらせるのが不可能な実験を一日でやれと言ってくるような先生でした。無理だと主張しても意見を曲げてくれず、僕はこの先生が正直嫌いでした。嫌いなので先生と普通に言い争いをしたこともありますが(恥ずかしながら目撃情報あり)、勝てませんでした。

 

さらに日が経ち、気づいたら夏休みに突入しましたが、夏休みが終わり先生と会った辺りで「○○君(先輩)は進路を熟考した結果、よその研究室に移ることになった」と説明されました。

 

先生が学生の気持ちを理解してくれない人間であることを考えると、やはり先生が原因なのではないかと考えましたが、真相は当時はわかりませんでした。

 

こうして、僕は研究室で一人ぼっちになってしまいました。

 

4月に研究室に配属されましたが、5月が終わる頃には先輩の姿が消えていたため、最初の二ヶ月以外の6月~翌年2月中旬までは研究室で一人ぼっちでした。ほとんどの期間が一人ぼっちです。

 

一人ぼっちというよりは先生と僕の二人ぼっちの研究室ですが、先生は全く僕の気持ちを理解してくれなかったので、僕は孤独でした。物珍しさから選んだ研究室ですが、完全に選択ミスでした。

 

大学院はよその大学を選ぶということは初めから決めていましたが、もし外部院進を最初は考えていなかったとしても、僕は途中からでも外部院進か就職を考えていたと思います。それぐらい酷い先生でした。

 

紆余曲折ありましたが、2月中旬に卒業研究の発表を終え、解放されました。これ以降も何度か先生からメールが来ましたが、卒業が確定したので全て無視しました。3月になったら実家へ逃亡しました。

 

4月からは、新しく別の大学の院へ進学し、その大学の研究室に所属することになりました。先輩も僕もいなくなり、あの先生の研究室は学生が一端0人となりましたが、その後入る学生がいたらご愁傷様ですね。

 

以上の経験から、僕は人が少ない研究室はやめた方が良いという意見を持つようになりました。特に、先生が一人しかいない研究室は危険です。その先生の人間性が終わっていたらどうしようもありません。先生も学生も多い研究室が無難だと感じました。

 

ここまで、僕の研究室での体験談を述べました。あまり語りたくないので詳細は伏せますが、あの一年間は本当に地獄の一年間でした。いろいろあったので、あの先生の顔は二度と見たくありません。皆さん、研究室選びは慎重に行いましょう。

 

 

話はもう少し続きます。大学院生になってから、学部時代の先生の名前をインターネットでたまたま検索したのですが、あるサイトが浮上しました。

 

研究室のクチコミサイトといった感じの肩書きを持つサイトがあったのですが、そこで学部時代に所属していた研究室のクチコミが書かれていたのを発見してしまいました。

 

研究室に所属していたのは僕と先輩だけですし、僕は書いていないので、このクチコミは間違いなくあの先輩が書いたものとなります。

 

特定を防ぐべくサイト名等は伏せますが、そのクチコミには「先生の追い込みが辛くて研究室を移動したくなったけど先生に妨害され、精神科の診断書を手に入れてようやく研究室の移動が認められた」といった内容が記されていました。

 

あの研究室を去って初めて真実を知り、かなり驚きました。想定はしていましたが、あの先輩はやはり先生が原因で研究室からいなくなったのでした。先輩は平気そうな素振りでしたが、内面ではとても苦労していたのですね…。

 

診断書を突き付けられていたはずなので、もちろん先生はこのことを知っているでしょう。しかし、先生は僕に真実を隠していたみたいです。言うわけがないですね…。

 

最近僕は修士2年となりました。前の研究室の先生とはもう1年以上会っていませんし、二度と会いたくありません。学会でもし遭遇したら最悪ですね…。

 

 

以上、研究室から先輩が逃亡して研究室でぼっちになった体験談でした。もう一度述べますが、皆さん、研究室選びは慎重に行いましょう。